~生きとし生けるものが幸せでありますように~

ダンマナンダ長老
『ハッピー・マリード・ライフ - 仏教の教える幸せな結婚生活とは?』

第三章 結婚生活の現実

ジョン・J・ロンビンソン(アメリカの著述家・歴史家)は彼の著作『あるがままについて』の中で、愛やセックスおよび結婚生活について以下のようなアドヴァイスをしています。
「注意深く慎み深くありなさい。独身より結婚することはずっとたやすいことです。もしあなたが正しい結婚相手を持つならば、本当に天上のように素晴らしいことです。しかし、もしそうでないならば、あなたは絶え間なくあなたをしばりつける地獄に二十四時間日常的に暮らすことになります。人生は実際、奇妙なものです。どういうわけか、あなたが正しい相手を見つけた時、あなたは心の中でそのことを知ります。それは単なるその瞬間でののぼせあがりのことではありません。しかし、セックスの力強い衝動は、若い人を向こう見ずに盲目的な行動に駆り立てるし、人は彼の感情をそんなに信頼することはできません。もしも飲んだり泥酔しているならば、このことは特に真実です。暗い酒場では最もひどい女性も時にヴィーナスのように見えるし、彼女の魅力はさからうことができないものになります。愛はセックス以上のものです。とはいえ、セックスは男性と女性との間の生物学的な土台ではあるのですが。愛とセックスはすべて相互により合わさった、まぜこぜになっているものなのです。


・問題

ほとんど毎日私たちは、誰かが結婚について不平不満を言っているのを聞きます。幸せな結婚についての物語を聞くことはとても稀です。
若い人々はロマンティックな小説や映画を見て、結婚は薔薇色の生活だとしばしば結論します。不幸なことに、結婚は考えるほどは甘くないものです。結婚と問題は相互関連しています。人は結婚する時、これまでに予期したことも経験したこともなかった問題と責任に直面するであろうことを、覚えていなければなりません。

人はしばしば考えます。結婚することは義務であり、結婚は人生においてとても重要なイベントであると。しかしながら、うまくいく結婚を確実にするためには、カップルは、彼らの間にあるかもしれない違いを何であれできるだけ小さくすることにより、彼らの人生を調和させねばなりません。
結婚の問題は皮肉屋の以下のことばを促します。めくらの夫とつんぼの妻の間の結婚においてのみ、平安な結婚生活がありうるだろう、なぜならば、めくらの妻は夫の欠点を見ず、つんぼの夫は妻がガミガミ言うことを聞くことができないからであると。


・分かち合いと信頼

結婚の問題の主要な原因のひとつは、疑いと不信です。
結婚は祝福ですが、多くの人は理解の不足により呪いにしてしまいます。

夫と妻はどちらもお互いに暗黙の信頼を示すべきであり、お互いの間に秘密を持とうとしてはなりません。秘密は疑いを生み、疑いは嫉妬に導き、嫉妬は怒りを生み、怒りは反目の原因となり、反目は、離婚や自殺あるいは殺人事件さえも引き起すかもしれません。

もしカップルがその日その日の暮らしの中で痛みや喜びを分かち合うことができれば、彼らはお互いを癒し元気づけ、不平不満を最小化することができます。
したがって、妻や夫は喜びのみを経験することを期待すべきではありません。
結婚には多くの痛みも伴い、みじめな経験にも直面しなければなりません。カップルは、自分たちの重荷や誤解を減らすための強い意志の力を持たねばなりません。お互いの問題を話し合うことは、カップルに、お互いへのより良き理解と、ともに生きているということへの自信をもたらすことでしょう。
男性と女性は、問題や困難に直面した時に、お互いを慰め癒し元気づける(コンフォートする)必要があります。もし相手の重荷を進んで分かち合おうとする人がそこにいれば、不安定やそわそわした感情は消えてなくなり、人生はより意味深く、幸せで、面白いものになることでしょう。


・感情によって盲目となることについて

二人の人が愛し合っているとき、彼らは良い印象を与えようとするために、お互いに自分の性質や性格の最も良い側面のみを示す傾向があります。
愛は盲目であると言われます。したがって、愛においては、人はお互いの性質の暗い側面を完全に忘れてしまっている傾向があります。

実際に、お互いに相手に対して自らの輝かしい特質を際立たせようとするならば、そして愛にそれほどに夢中になっているならば、彼らはお互いに「額面」(フェイス・ヴァリュー)のみを受け入れる傾向があります。それぞれの恋人が相手を失うことへの不安から、自らの性質の暗い側面を明らかにしないことでしょう。いかなる個人的な欠点も、いわば、お互いを勝ち取るチャンスを台無しにしないように、カーペットの下で慎重に掃除されているのです。結婚のあとで相手を正すことができるだろうし、それらの欠点とともに生きていくことができるだろうと考え、「愛はすべてに勝つ」と考えて、恋愛関係にある人はパートナーの欠点を知らないふりをする傾向もあります。

しかしながら、結婚のあとで、最初のうちのロマンティックな気分が擦り減ってくると、お互いの性格の本当の性質ががあらわれてきます。
そのとき、両方の側に多くの失望が生じ、お互いの奥深い感情を今まで封じ込めてきたみんなが知っているようなヴェールが取り外されて、お互いの本当の性質をあらわにします。そのとき、幻滅が始まります。


・物質的な必要性について

愛はそれ自体では、新鮮な空気や太陽のもとで存続しえません。現世は、物質的な世界であり、物質的な必要性を満たすためものであり、適切な会計と予算が不可欠です。
そのことなしでは、いかなる家族も快適には生活できません。そのような暮らしは以下のことばを的確に裏付けることでしょう。「貧しさが戸口をノックする時、愛は窓から飛び去っていく。」
これは、結婚をする時に人が金持ちでなければならないということを意味するのではありません。しかしながら、もし人が、安定した仕事と注意深い計画性によって生活の基本的な必要性を満たすならば、多くの不必要な心配は結婚から取り除かれるということです。

貧しさによるつらさは、もしカップルの間に完全な理解があれば、避けることができます。
パートナーは両方とも、足るを知る事の価値を理解しなければなりません。
どちらも「私たちの問題」としてすべての問題を扱わなければなりませんし、長きにわたる人生のパートナーシップにおける真実の精神において、「いい時」と「わるい時」とのすべてを分ちあっていかなければなりません。


・結婚する前のアドヴァイス

初期仏典の中の増支部経典には、結婚を前にした若い女性たちに仏陀が与えた、いくつかの貴重なアドヴァイスが含まれています。
新たな婚姻による家族との困難を自覚することで、女性は義理の母や父に敬意を払うことを命じられ、自分の両親に対するように愛情深く仕えねばならぬことを言われています。彼女たちは、夫の親戚や友人に敬意を払い尊敬するように期待され、そういうわけで新しい家庭の中で愛想よく幸せな雰囲気を生み出すようにと。

彼女たちはまた、夫の性質を学び理解するようにアドヴァイスされています。夫たちの行動や性格、気質を確認し、新しい家庭でどんな時も役に立ち協力的であるようにとアドヴァイスされています。彼女たちは礼儀正しくあるべきで、夫の稼ぎに対して親切で注意深くあるべきで、すべての家庭の支出が適切に管理されるように取り計らうべきだと言われています。こうしたアドヴァイスは、仏陀によって二千五百年以上昔に与えられたものですが、今日でもいまだに価値のあるものです。

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