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ダンマナンダ長老
『ハッピー・マリード・ライフ - 仏教の教える幸せな結婚生活とは?』

第五章 宗教的なディレンマ(板挟み)

・個人の権利

ユダヤ・キリスト・イスラムなどの中東起源の一神教に属する人々の間で最も大きな関心となる物事の一つは、結婚前の改宗の問題です。
一方、仏教徒とヒンドゥー教徒とでは、結婚式の前に同じ宗教にカップルが属することを要求することは決してありません。多くの他の宗教の人々も、この寛容を活かす傾向にあります。

結婚は、多くのロマンティックな小説が言うところとは反対に、各自が自分のアイデンティティを失うほどまでの、二人の全き完全な融合を意味しません。
宗教がパートナーのどちらにも同じ宗教的なラベルを持たねばならないと要求する時、その人自身が欲することを信じるという個人の基本的な人権をその要求は否定しています。
社会は歴史を通して、「多様性の中での統合」が可能なだけでなく望ましいことを示してきました。
多様性からは、より大きな尊敬と理解が生じます。このことは、結婚にもまた適用されるべきです。夫と妻が自らの信条を維持し、かつお互いに対立することなく幸せな結婚生活を維持することができるという、多くの生きた事例が世界中にあります。

仏教徒は同じ家庭の中でさえも、他の宗教の存在に反対することはありません。
不幸なことに、この寛容の態度は、あらゆる方法で改宗者を得ようと努めるあくどい宗教家たちによって悪利用されてきました。

知性的な仏教徒は、この計略に気付いていなければなりません。知性的な人間とは、その人自身の確信によって信仰するということを本当に理解しているものです。そうした知性的な人間としての自尊心が存在しないところでは、寛容な仏教徒の信条は他の宗教の人為的な要求をただ単に満たすだけとなってしまうので、断念すべきです。
仏教徒は、パートナーが仏教の信仰をいだくことを要求しません。また、自らの信条を明け渡すべきでもありません。


・結婚後の憂鬱について(マリッジ・ブルーの後に)

若い人々が恋に落ちている時、彼らは結婚できるまでは多くの犠牲を払う心構えがあります。
しかし、数年後、うまくいく結婚を築くための本当の仕事が始まる時、不平不満が始まります。
「愛」のために、自らに深く根ざした宗教的な信条を断念したパートナーが、そのことを後悔し始めた時、無益な誤解が起こります。
結婚に倦怠を感じる時に、それらのことはさらなる緊張を加えます。そこでは反目が起こることでしょう。そして通常、それらの反目の主な原因のひとつは、子供たちがどちらの宗教に属すべきかという問題になることでしょう。

それゆえに、人にとって最も重要なことは、もし改宗のプロセスが伴っているならば、それは本当の確信に基づかねばならず、単なる便宜や強制であってはならないということです。
仏教徒は、選択するという個人の自由を維持します。この原則は万事において尊重されるべきです。


・儀式

結婚をするにあたって仏教徒の儀式や手続きには特別なものは何もありません。仏教は、異なる国々において人々によって実践される伝統や文化を認めています。したがって、仏教徒の宗教的な儀式は国と国とで異なるものです。

一般的に実際に、祝福のための宗教的な儀式やカップルにアドヴァイスを与えることは、習慣的にお寺の中か家においてかいずれかで、結婚により大きな意義を与えることとして行われています。
今日、多くの国では、祝福の儀式に加えて、宗教的な組織もまた、法的な結婚の承認の確認とともに、挙式し登録することで結婚を権威づけてきました。

おしなべて言えば、最も重要なポイントは、カップルがお互いに幸せな時だけでなく、困難に直面するどんな時であっても、お互いに協力し理解し合う意志において、全き誠実さを持っているということです。

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