~生きとし生けるものが幸せでありますように~

ダンマナンダ長老
「仏教における人間の尊厳について」

人間は、進化の階段を実際、随分と進んできました。

人は科学的・心理学的・物質的に、驚嘆すべき成功を達成してきました。

あらゆる形の、数限りない宗教的な実践や習慣や伝統や儀礼儀式、奉納や祈りが、今や存在しています。


私たちは文明人として自らに誇りを持っています。その一方で、私たちは、

動物と変わらないような一部の人々の振る舞いや態度に深く心を痛め、気付いています。

これはもちろん、人類のために促したいと思うような進歩ではありません。

尊重する価値のあるものとしての人間とは、畏れと恥を知ったありかたを具え、

親切であり、慈悲深く、他人に対して思いやりを持つ存在であることでしょう。

そのような人は、自らが他の人に害を与える原因となってしまうことを心配します。

また、他の人が必要な時にはいつでも助けの手をさしのべる準備をしているものです。

これらはごく当たり前に人間にとって大切なことであり、かつ私たちは皆、

これらの大切なことを大事にし、支持しています。

私たちは、人間らしい資質を育てるべきです。それらに背くべきではありません。

私たちは自らにもともと備わっている素晴らしい徳を、

他の人々の役に立つことによって、さらに育てていきます。

他の人々の役に立つことによって、私たちは人を理解する精神や、親切さ、慈悲、

正直、飾らない素直さ、優しさ、謙虚さ、充実感などを実現していきます。

これらは尊重すべき人間としての価値であり、これらの価値を得たならば誇りに思うべきです。


人間の性質の中には、有意義な人間として価値あるものになるまで、

注意深く守り育むべき、ある一連の特質があります。

大まかに、その特質は三つに区分されます。

つまり、私たちの中の、動物的な性質、人間的な性質、尊い性質です。

これらの三つの特質は、さまざまな度合いで、私たちの振る舞いに影響しています。

もし、私たちが自らの醜い行動を抑えたりコントロールしようという何の努力もせずに、

動物的な性質のままに振る舞えば、私たちは社会の厄介者となることでしょう。

宗教は、私たちが動物的な性質をコントロールするのに役立つ重要な手段です。


傑出した宗教的な指導者たちの気高い教えである宗教は、

適切な人間の振る舞いを導くものとして役立つはずです。

宗教はまた、人間の隠れた性質のさまざまな側面を、耕し、

育み、育てる手段として、私たちにとって役に立つものです。

人間としての性質を耕し育てることによって、私たちは最終的に尊いゴール、

つまり私たちの尊い性質に達します。

尊い性質に達することにより、貪欲や度を越した性欲や、怒りや憎しみや嫉妬やねたみやその他の、

問題のある心のありかたが完全に取り除かれたレベルにまで心が発達します。

それにより、人間はより気高く、高い尊敬を受ける価値のあるものになります。

宗教を役立てることにより、私たちは自らの動物的な性質を抑制しコントロールし、

人間としての性質を耕し育て、尊い性質に達します。


他の人々の幸せを気づかうことや、善意や友好的な態度を持つこと、慈悲や親切さ、

他の人の成長を一緒になって喜ぶ心、得ることや失うことに対して、

賞賛や非難に対して偏りのない態度を持つこと、といった心が育つことによって、この尊い性質は生じます。

この尊い性質は、四無量心としても知られています。

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