~生きとし生けるものが幸せでありますように~

ダンマナンダ長老
「仏教における人間の尊厳について」

「心の性質」


人間としての価値あるものは、もともと人間の中にあるものによってもたらされます。

つまり、私たちの理性的な心によってもたらされます。

この理性があるために、私たちは「マヌーシャ」、

つまり「考えるための心を持っているもの」と言われています。

釈尊は、「心はこの世においてあらゆるものに先立つものです。」とはっきりおっしゃいました。

ゆえに、合理的な思考を行う力を持たない他の生きものから、

考える働きを持つ私たち人間は区別されるのです。

動物のような他の生きものたちは、人間の持つ特質を持っていません。

つまり、他の生きものは、良いことと悪いこととの間で論理的な判断を下すことや、

人間が行うように哲学的に思索するということはできません。

この理由から、人間はこの世界において独特なものと言えます。

独特なものであるがゆえに、人間の心は、気高い宗教の教えによって

適切に訓練され精神的な導きを受けねばならないものです。

なぜそうしなければならないかというと、心がこの世界に災いをもたらすのではなく、

人類にとって良いことのために働き、理性を持つことができるようになるためにです。

ユネスコ憲章の前文には、「戦争は人間の心から始まります。ゆえに、

人の心の中には平和を守るための防御を築かなければなりません。」という、

とても意義深い一節があります。

人間の心の中から、この世界のあらゆる悪は生じます。また、適切に耕され陶冶された心を通じて、

人類にとって善いことのために、私たちはあらゆる悪を取り除くこともできます。


私たちは幸運にも、人類の役に立ち、知性的に働くように心を耕し陶冶することができます。

その一方で、私たち人間の特質には、他の生きものには見られない不幸な側面もあります。

それは、人間の持つ悪賢さやずるさです。

人間の悪賢さやずるさに固有な特徴は、たやすく他のすべての人間の大事な価値を覆い隠してしまいます。

実際に、この世界にはびこっている苦しみや混沌とした状況やあらゆる問題は、

人間の利己的な心や悪賢さやひねくれた心によってもたらされていると言うことができます。

こうした特徴は、非常に取り除くことが難しいものです。

もし、人が自らの欲望のままに振る舞って良い完全な自由を与えられるならば、

その人はほんの短い間に全世界を滅ぼしさえするかもしれません。

人は、さまざまな科学的な新発見を通じて、

自らの存在そのものにとってさえ危険だと疑われるような存在となりました。

しかし、宗教は、これらの悪賢さやずるさといった不幸な特徴から、

人間が方向を転換するために、重要な役割を果たすべきです。

宗教は、人間を精神的に高め、あらゆる悪を除く働きをする気高い戒めを持っています。

人間の心に平和や安らぎの道のりを指し示す羅針盤として、

すべての人の幸福や善のために、宗教は役立つべきです。

仏教は、他の宗教と同じように、あらゆる悪を取り除く努力をし、人類の幸福のために働くものです。

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