~生きとし生けるものが幸せでありますように~

ダンマナンダ長老
「仏教における人間の尊厳について」

「自らが行いなさい」



釈尊は、彼の教えに従う人々に、救いを得るために誰か

第三者に頼るようなことを勧めたりはなさいませんでした。

釈尊は、御自身をさえ、ただ救いに至る道のりを示すだけの存在だとおっしゃいました。

また、釈尊の教えに従う人々には、「智慧と最終的な救いを得るためには、

自らの心を鍛え、清め、自らの道徳的な基盤を耕す」べきであるとおっしゃいました。

悟りは自分以外の外部の誰かによっては到達できないと、釈尊は繰り返し強調されました。

私たちは悟りに達するために働かなければなりません。

悟りへの道のりを経験するためには、自ら努力し、知り、理解しなければなりません。

これほどに、釈尊は人間の知性を信頼なさっておられました。

釈尊は、彼の教えに従う人々に、ただ単に「釈尊は偉大な方だ」と思うことだけのものとして

仏教を受け入れるべきではないとさえ強調されました。

その人自身が智慧を得るために努力をしない人は、

スープを運ぶスプーンがスープの味を知らないのと同じことです。

私たちは、自らの良識を用いるべきです。自らの理性を使うことを通して理解を育むべきです。

この方法によってのみ、私たちは真理や存在の本当のありかたを実現することができるのです。

「カーラーマ経」(※増支部経典の中のお経)の中で釈尊によってなされている以下の助言は、

人々を自分自身で考え、自らの人間としての尊厳を重んじるように、

釈尊が明確に促しておられることを示しています。

釈尊はおっしゃいました。

「いかなるものも単なる世の中の評判や伝統や噂に基づいて受け入れてはなりません。
感情的な理由や感情的な議論に基づいて受け入れてもなりません。
自分自身の憶測によって受け入れてもなりません。
もっともらしく見えるということで、なんらかの物事を受け入れてもなりません。
自らの推測による意見によって受け入れてもなりません。
「これは私の先生が言っていることだから」ということからその意見を受け入れてもなりません。

しかし、自らと他の人のためにそのことが良いことだと知っている時には、そのことを受け入れなさい。」


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