~生きとし生けるものが幸せでありますように~

ダンマナンダ長老
『ハッピー・マリード・ライフ - 仏教の教える幸せな結婚生活とは?』

批判精神を持ってその事柄をまず知性的に吟味しないならば、

誰からもいかなる教えも受けいれてはならないと、これほど明らかにはっきりと、

なんらかの他の宗教的な指導者たちがかつて主張したことがあったかどうかは、疑問です。

釈尊は、人間は合理的に考えることができる存在だと信じておられる御方でした。


人は、他の人によって、悟りを実現することも、自らの救いを得ることもできません。

他人は、たとえ釈尊であっても、ただ、人がそれに従っていく道のりを示すための、

アイデアやものの見方を提供することができるだけに過ぎません。

人は自ら考え、自らの努力で、個人として真理を理解すべきです。

誰も誰か他の人に真理を手渡すことはできません。

しかしながら、ただちにすべての解決を見出すことは誰にも期待されていません。

真理を探し求める道のりは長いものとなることでしょう。

人は、自らに真理の光がさし始めるまでの間、

信念や確信や熱心な思いを維持しなければなりません。



「普段の生活における仏教の導きと幸せ」


釈尊のみ教えを解説するにあたって、一部の人々は不幸なことに間違った印象を生み出してきました。

その間違った印象というのは、仏教はその教えに従う人々に対して、

すべての世俗的な所有をあきらめるように、

また、いかなる形の世俗的な喜びも経験せず、生きるために働きも稼ぎもしない、

無益な人生に導くことを、釈尊は勧めているというものです。

(このような見方は、釈尊のみ教えを完全に誤解している実に多くの人々の間に広く流布されてきました。)

他方、私たちは、煩悩を捨てることは、心の平和を持つためには

最も重要な側面であることを理解しなければなりません。

しかし、煩悩を捨てることは、世俗的な喜びは過ぎ去っていく性質のものであることに

実際に目覚める体験を通してなされるべきことです。

釈尊は彼の教えに従う人々に対して、なんらの働きもしないような不活発な生活を勧めてはおられません。

そうではなく、人が経験することができる「四種類の幸せ」についての説法の中で、釈尊は明確に、

人は富と財産を得るために一生懸命働かなければならないことを指摘されています。

また、そのことによって仏教徒としての幸せな生き方がもたらされるということを指摘されています。


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